歴史

歴史

清白寺は、寺蔵の「仏殿沿革調査書」(明治39年〔1906〕)によると、足利尊氏が開基し、夢窓国師(疎石)を開山として、正慶2年(1333)に創立されたと伝わる臨済宗の寺院です。天和2年(1682)の火災で仏殿を残してほとんどの堂宇が焼失し、その直後から享保16年(1731)の総門の完成まで再建工事が行われています。総門、放生池、鐘楼門(改築)、仏殿、本堂が一直線上に並ぶ禅宗特有の伽藍配置がみられます。境内には梅樹が多く、夢窓国師が中国の杭州西湖から入手して植えたと伝わる古木は「西湖梅」の名で知られています。

夢窓国師(疎石)

鎌倉時代末期から室町時代にかけての臨済宗の名僧。歴代天皇から七度(生前三度、没後に四度)にわたり国師号を賜与され七朝帝師とも称される。足利尊氏も疎石を師と仰いだ。政治的にも文芸面にも優れ、当時の政治文化だけでなく、後世にも大きな影響を残した。特に造園には卓越した才能を持ち、天龍寺、西芳寺、等持院、瑞泉寺、恵林寺の庭園を手掛け、現在の日本庭園の模範ともなっている

足利尊氏

鎌倉時代末期から南北朝時代の武将。鎌倉幕府の打倒、後醍醐天皇との確執、南北朝動乱と激動の時代を生き抜き、室町幕府の初代征夷大将軍となった。豪快で大らかな性格で夢窓国師をして、以下のように評されています。
「第一に、心が強く、合戦中に命を捨てるような場面がたびたびありながらも、笑みを浮かべて恐怖の色をみせない」
「第二に、天性の慈悲の心をもち、人を憎むということがない。敵を許すことも多く、我が子に対するようである」
「第三に、心が広く物惜しみをしない。金銀も土石とひとしく見なし、武具や馬などを人々に与えるときには、相手の身分や財力に関係なく手に取るままに与えてしまう」

伽藍



本堂 庫裏 仏殿 鐘楼門 総門 参道 駐車場 駐車場

本堂

庫裏

仏殿

鐘楼門

総門

変遷

・「変遷データ」(国土地理院) (http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1)をもとに株式会社アイシーザライト作成